2011年05月27日

ライラック祭の札幌C

 今日はもう帰る日だ。junの膝は相変わらず痛みが取れず、夜中何度も目を覚ましてしまった。が、起きればそんなことは言っていられない。今日は今日の予定がある。
 朝食は、クロワッサンのサービスがあるというので、パン屋へ行った。まだ開いていなかったので、開店までフロント前でネットでもやろうとしたが、ここでもつながらない。一体、この一流ホテルはなんぞや。
 7時になったのでパンを手に入れて部屋へ戻り、それだけで朝食とした。
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2011年05月26日

ライラック祭の札幌B

 昨日ホテルに戻ってからまた一杯やってしまったので、目覚めは遅い。といってもやはりnoriの方が起きるのが早く、パソコンをやっていた。ここはネットが使い放題なので、時間をつぶすにはいいらしい。
 一方junは朝から足を引きずらねば歩けないほど痛くて、たまらなかった。夜中にアンメルツを塗ったのだが一向に効かないので、湿布薬を貼った。
 朝食は、ゆっくりと8時頃。パンと飲み物しかないので、メニューに変わりは無いが、junは二つもパンを食べた。
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2011年05月25日

ライラック祭の札幌A

 夕べは帰ってすぐに入浴して寝たので、朝の目覚めはいい。
 それから今日の荷物の準備をした。定期観光バスに乗るのだが、昼食場所のホテルでそこの温泉にも入れるというので、ここのタオルを借りていくことにした。本来ならjunが荷物の中に入れるはずだったのが、騒いだ割に入れるのを忘れていた。
 テレビでは、観光客の激減に対応するための動きなどを報じていた。まずは、中国や韓国からのようだ。確かに観光業がこうも不況ではたまらないだろう。テレビで登場しているのは、高橋はるみ北海道知事。
 7時になったので朝食会場へ行った。パンと飲み物だけというものだが、昨日の今朝だから十分だった。
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2011年05月24日

ライラック祭の札幌@

 今回はnoriの計画した札幌行き。久しぶりに二人だけの旅だ。
 ちょうどハンガリーに行っている間に、座席が指定出来る期間だったので、2階席を取ることが出来、ひさしぶりの体験にわくわくしながらの出発となった。
 ただ、朝早い便での出発にしたので、少し寝坊して慌ただしい出発でもあった。しかも雨。折り畳みの傘は持ってはいるが濡らしたくなかったので、捨て傘を持って行く。
 電車は平日の早朝というためか、思ったより空いていて、焦る事なくゆったりと座っていくことが出来た。
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2011年04月16日

なかの史跡ガイド 鷺宮コース 補遺

 「なかの史跡ガイド」(中野区教育委員会)の鷺宮コースの記述の最後に、<コース以外のポイント>と言う記述があり、五ヶ所が紹介されている。それを紹介したいと思います。

 勝手ながら、出発点は鷺宮の二つ新宿寄りの野方からにさせてもらいました。

 野方駅の南口を降りたら、そのまま道路を南下すると、やっほーロードに出ます。右は、吉牛(吉野家)があります。そこをうせつ、つまり吉牛の方に曲がります。野方の商店街が続きます。6〜70メートル行くと、Y字路に出ます。帰りは右手の道から帰ってくるのですが、ここでは左手を選びます。そのまま商店街がなくなり住宅地になっても進みます。やがて左手にクリームがかったマンションが見えてきます。ライオンズマンションです。そこは十字路になっており、この後更に20メートルほど進むのですが、ここでは一旦左に折れます。ライオンズマンションの入り口の道を隔てて反対側が最初のポイントです。

享保10年(1725)の庚申塔
 それは小さな堂宇に覆われています。その中に庚申塔がありました。

kyouho10nenkoushintou.jpg


仙蔵院
 次の仙蔵院に行くには、一旦十字路まで戻り、更に20メートルくらい進むと、右折できる道があります。都立家政銀座につながる道で、途中から路面がアスファルトから煉瓦様の道(インターロッキング)に変わります。そこを進んでいくと、そろそろ電車の音が聞こえてきて都立家政駅に近づいたなと思う頃、左手にとりつかせい内科クリニックがあります。そこを左折します。民家に隠れて、少しくぼんで、右側に仙蔵院の入り口が見えてきます。
 猫のあしあとによれば、『除地、1段8畝18歩。村の北の方にあり。瑠璃光山浄光寺と号す。新義真言宗にて中野村宝泉寺末。客殿5間半に4間南向。本尊不動、木の立像にて長2尺、開山開基詳ならず。(新編武蔵風土記稿より)』と解説されています。一方、底本にしているなかの史跡ガイドには、『創立ははっきりしませんが、下鷺乃宮の名主横山氏の祖先が観音堂を建て、所有地を寺地として寄進したものといわれています。』とあります。何かちぐはぐですが、どうしたことなんでしょう。
 現在の寺院は奥まった場所にあり、幾分かの墓地もあり、細々とではあるようですが、寺として存在していることが伺われました。
 次のポイントへは、一旦家政銀座の通りまで戻り、都立家政駅方向に進み、踏切を渡ります。

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寛政4年(1792)と宝暦13年(1763)の地蔵
 都立家政駅脇の踏切を越えて北上すると、右手にセブンイレブンがあります。その先の十字路を一旦左折します。一旦と書いたのは、あとで、この道を右折した方向に進むからです。左折して少し行くと右側に墓地が見えてきます。その一角にあります。
 ここに二体の地蔵尊があります。宝暦13年のものが左側で、やや小ぶりです。
 元々は寺があったようですが、廃寺になり、現在は福蔵院(なかの史跡ガイド 鷺宮コース 本編で紹介済み)の墓地となっているようです。

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寛政12年(1800)の庚申塔
 次のポイントまでは、今来た道を引き返します。そして先ほどの都立家政から来た道を横切り、その次の十字路を、ここでもまた一旦左折します。一旦と書いたのは、先ほど同様、右折方向にその次のポイントがあるからです。
 左折すると、左手に堂宇が見えてきます。この堂宇、鈴がついているので、仏様か神様が奉られているものと思われますが、中をうかがいましたが、肝心な部分はカーテンで覆われて判然としませんでした。何か、集会場のようにも使われている雰囲気でした。
 しかし、ここで見る庚申塔はその堂の左手にありました。庚申塔と言いますが、石柱に文字が書かれているもので、教育委員会の解説が左手にあります。どうも、道しるべの役割も果たしていたようです。
 正面には「青面金剛云々」、右手には「聖観音云々」、左手には「馬頭観音云々」と書かれているらしく、それぞれ、悪疫を防ぎ人々の健康長寿を、牛馬の供養を、苦難からの解放を、願っているとのことです。
 ここから次のポイントへは、来た道を引き返します。

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<正徳4年(1714)の庚申塔>
 来た道を引き返し、曲がったところも直進し、しばらく住宅地を進みます。これといった目印はありませんが、とにかく道なりに進むと西武新宿線の踏切に出ます。
 その踏切を渡る直前、右側にあります。
 写真を見るとわかるように、背景に電車が移っていると思います。本当に線路脇です。ここでも、千羽鶴や、きれいな花が供えられ、線香の灰さえも見えました。民間信仰が生きていることがうかがえます。
 ここからは、さらに道なりに進みます。そうすると野方の商店街に戻ってきます。先ほど左側の道を選択したY字路の右側に戻ってきます。更に進めば、吉牛で、それを左折すれば野方駅はすぐそこです。

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 今回も、底本には「なかの史跡ガイド」を使いました。また文中で触れたように、「猫のあしあと」を参考にしました。

 最期に地図をつけておきます。


より大きな地図で なかの史跡ガイド 鷺宮コース を表示
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2011年04月13日

震災後初 石和小旅行

 今日もいい天気だ。富士山も白い頭を覗かせている。
朝一番はまず温泉に入ること。これで昨日の酔いも醒めるというものだ。
 朝食はバイキングスタイル。我が家にとっては非常にまずいスタイルだ。というのも、今は栄養管理しなければならないのに、これではできそうもないからだ。いや、それぞれの意志が強ければ問題ないのだろうが、目の前に並べられた料理には勝てはしないというのが本当のところだ。
 ということでやっぱり山盛り、満腹の朝食となってしまった。
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2011年04月12日

震災後初 石和小旅行

 junが常日頃から「ふぐが食べたい、ふぐが食べたい」というのを耳にしていたnoriが見つけた石和温泉のふぐ料理の宿。(もっともこの希望は最初には、『ふぐとかき山陰山陽大満喫の旅』で叶えられていたし、そのごも都内でもふぐ料理屋には行っている。)
 東日本大地震以降あまり遠出は出来なかったのだが、どうにか落ち着いてきたので、予約を入れた。と言うのも、この時点では例年武田信玄の命日の12日に行われる武田神社の祭礼行事が行われる予定であった。それに合わせたわけだが、日本中の自粛ムードの中、中止となった。(実は超自粛モードで行われたらしい。我々も開催を知らせる花火の音は確認した。やはり地元では信玄さんである。)
 さて旅館に電話すると、計画停電が行われるときには温泉に入れないとか、売り物の一つになっている中国雑伎団のショーは、皆帰国してしまったので行われないとかの説明があった。つまり、それでも良いかと言うことだったのだが、最近停電はないしまあ大丈夫だろうと言うことで12日に行くことに決めた。
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2011年04月09日

なかの史跡ガイド 鷺宮コース

 昨日今日で「なかの史跡ガイド」(中野区教育委員会発行)の 「鷺宮コース」を歩いてきた。

 西武鉄道の鷺ノ宮の駅(駅は鷺ノ宮と、カタカナのノが入ります)を降りたら、南口を出てすぐ前の妙正寺川に架かる橋をわたり、川沿いに新宿方向に進みます。本当はだいぶ近道があるのですが、寺門から入りたいので、少し川沿いを進みます。大きくカーブを川は切ります。見えてきた最初の橋を右に、つまり川かrたはなれる方向に進み、右側の壁(寺の壁)伝いに行くと寺門に出ます。そこが福蔵院です。

<福蔵院>A←これは、上記「なかの史跡ガイド」の地図の番号で以下同様 
 最初に訪れたのは福蔵院というお寺。もともとは隣にあり、次に訪れる予定の鷺宮八幡神社の別当寺で会ったらしい。しかし今は寺域も八幡神社の社域の数倍はある大きな部分を占める。ここでの見物は、中野区の指定文化財にもなっている十三仏。解説には、「このように石像で十三体そろったものは都内でもめずらしく、他の石仏と同様、江戸時代後期の日常生活に深く根付いていた民間信仰の現れといえましょう。」とあります。
 この寺では、ちょうど「花まつり」の日だったので、本堂の前にお釈迦様の「天上天下唯我独尊」ポーズの誕生仏が置かれてありましたので、恒例に従い甘茶をご神体におかけしました。
 その本堂ですが、かなり大きな建物で、横幅は二十メートル弱はあったのではと思います。おもしろかったのは、その屋根で、南向きの面には太陽光発電用の電池がずらっと並んでいました。

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<鷺宮八幡神社>@
 この神社は由緒正しきいわれのある(神社は見なそうだろうが)ということで、江戸時代には中野区内で唯一御朱印地を安堵されていたとのことです。
 社の説明によれば、「当社の創建は康平七年(1064)陸奥守源頼義勅を奉じ、東国平定後鎌倉街道に面した統治に社殿を建て、八幡祀神の御神霊を奉祀し戦勝感謝国家安泰、源氏の隆昌を祈願したのが始めであると伝えられる。」とある。鷺が多く生息していたようで、鷺宮大明神と別称されたらしく、これがこの地の名前の由来となっている。
 先の地震のためであろうか、石の鳥居の二つが傾いていて、立ち入り禁止になっていた。
 現在でも信仰は厚いようで、社務所には常時人がいてお札を売っている(正しくは授与してくれる)。この日も求める人がいた。
 社殿向かって右手には稲荷神社なども奉られている。社殿向かって左の脇から道に出て、右方向に向かえば鷺ノ宮駅に出る。

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<上鷺宮の願かけ地蔵尊>I
 鷺ノ宮駅の脇を通る中杉通りの西武新宿線の踏切を越えて北上する。途中新青梅街道を横切り、最初に見えてくる信号の右脇に二体の地蔵尊がある。目の前はもう練馬区。
 大小二体で、一対をなしているようで、願い事がある人は小さい方の地蔵尊を大きい方の地蔵尊に倒すのだそうです。大きい方は小さい方が重たいので、願い事を叶えて元に戻してもらおうとするのだそうです。願い事の叶った里人は、そっと小さい方を元の位置に戻すのだそうです。
 次のポイントまでは、この地蔵尊のある交差点を進行方向左に曲がります。

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<北原神社>J
 願かけ地蔵尊からの道を道なりにしばらく進むと、道は突き当たります。そこを右折して進むとやがて信号が見えてきます。信号の手前には神鷺東公園というやや大きめの公園がありますので、間違える心配はないと思います。そこを左折して150メートルほど進むと右手に小さな社があります。塀などは普通の家の塀のような佇まいです。
 北原は「きたっぱら」と読むのだそうで、これはこの地が鷺宮神社の北側に広がる野原だったことに由来するとのことです。

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<つげの木地蔵>K
 北原神社のすぐ先の十字路を左折して南下すると、新青梅街道に出ます。なかの史跡ガイドでは少し近い道が書いてあるのですが、そちらは少しわかりにくいです(筆者もそちらの道を行きましたが、その場合はそちらに当たってください。)。さて新青梅に出たら、左折します。道路は渡りません。しばらく行くとローソンがあります。このローソンの建物の裏手につげの木地蔵はあります。
 この地蔵尊は、大きなつげの木に覆われたその下にあったらしく、それ故にこのながあるとのこと。ただし、今はその木はありません。それでも小さなつげの木が傍らに植わり、目新しい石版も立っているので、現在でもなお信仰の続いていることが伺われました。この地蔵尊自体が昭和のもの。というのは、この地にあったものは終戦後に盗まれてしまったから。こうした努力は地域のどのような組織がやられているのでしょうか。
 また立っている場所は新青梅街道から20メートルくらい奥まったところなのですが、たぶんかつてはここが正当な道だったのでしょう。

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<笠付きの庚申塔>H
 つげの木地蔵からここは近いのですが、ここで新青梅街道を渡ります。渡る信号は「武蔵丘高校入り口」です。渡ったら、新宿(鷺ノ宮駅)方向に進むとすぐに右斜め前に分かれる道に出ます。その道を選び進んだ最初の十字路にあります。高さは一メートルにも満たないもので、かなり地味に存在しますから道路脇を見落とさないように。
 このスタイルの庚申とは日本全国にいくつもの例があるらしい。ネットで探すと結構の数が見つかる。元禄15年(1702年)のものとのことで、赤穂浪士の時代からこの地に存在していると言うことになります。笠を更に覆うように、きれいに刈り込みされた木が覆い被さって、道路の片隅にひっそりとたたずんでいます。これも人の手が今日なお入っていることを伺わせます。
 次のスポットには、この写真で言うと右手方向(つげの木地蔵から歩いてきた交差点を右折)に、新青梅街道からは離れていく方向へ進みます。

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<庚申塔と地蔵尊>G <御嶽神社と地蔵尊>F
 少し前のスポットからは離れていますが、道さえ選択を誤らなければ、一本道です。400メートルくらい進んで、少し不安になってくる頃、四つ角手前右側にそれはあります。十字路の角、ブロック塀の一角を切り取った空間です。少し悲しい気持ちにもなりますが、それでもここでも日よけのように小さな木が植えられています。
 ここには説明もなく、また既に文字の判読も素人には不可能でした。

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 さてその十字路の向かい側の角には地蔵尊があります。御嶽神社の一角を切り取った形で、存在します。先の地蔵尊は板碑の形式ですが、こちらの地蔵尊はお姿全体が見て取れる形式です。子育て地蔵という別称があるようで、子供の育たない施主が願いを込めて立てたものだそうです。今日もなお、こうして存在していると言うことは、霊験あらたかなものがあるのでしょう。

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 その地蔵尊に一角を貸しているのが御嶽神社です。(木曽の)御嶽信仰に基づく社なのでしょう。農閑期を利用し、訪れたのでしょうか。
 今でも真新しいしめ縄がありますので、これもなお続いている信仰なのだと言うことがわかります。境内には板碑などがあります。

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 次のスポットへは、歩いてきた方向から左に曲がります。つまり、だいたいで言えば、御嶽神社の社から鳥居の方向に向かいます。

<交通厄除地蔵尊>B
 よほどの早朝や深夜出ない限り西武新宿線の音がやがて聞こえてくるはずです。踏切を渡ると東京都住宅供給公社の鷺ノ宮住宅エリアに入ります。道なりにそのまま直進すると、団地の配置図が現れます。その解説図に従って、そうでなくとも概ね南東方向、つまりは左斜め前に進む進路をとれば、妙正寺川に出ます。
 妙正寺川に出たら、適当なところで橋(というかそのまま突き進めば橋がある)を渡り、対岸に出たら左折し、妙正寺川沿いに新宿(鷺ノ宮駅)方向に進みます。やがてバス通りに出ますが、その先が鷺ノ宮駅です。駅にはしかし行かず、バス通り(中杉通り)を右に行くと、程なくで交通厄除地蔵尊にでます。
 交通厄除地蔵尊はいくつもの石仏等が集合された場所で、その後ろは公園になっています。ここに集められている石仏等は,妙正寺川の改修時に集められたものだそうです(改修記念碑もあります)。
 交通厄除地蔵尊というのは、たぶんかなり後世のものと思われます。解説書にもなぜ「交通」なのかはありません。というよりも、時代が下ると、交通安全が重要な現世的利益の課題になってきたという証拠かもしれません。

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<天神山の森>C
 ここへ行くのにはっきり言って迷いました。ですから少し面倒ですが、わかりやすい道を書きたいと思います。
 交通厄除地蔵尊から、鷺ノ宮駅を背にしてバス通り(中杉通り)を進みます。やがて左に大きな鷺ノ宮フィットネスクラブの建物、右に白鷺教会が見えてきます。その白鷺教会の角から数えて一つ目、一つ先の角を右折します。少しうっそうとして木々が生い茂っているところを通ると、その先左手が天神山の森です。でもそのようなことは書いてありません。今の名称は、「そろの木公園」と言います。ソロの木とは、イヌシデのことのようです。
 公園は入り口から一段高い場所にあり、四阿などもあります。
 ここは天神様を奉ったほこらがあったことに由来するそうで、武蔵野台地の古き雑木林の頃の面影を残しているところです。眼下にはかつては妙正寺川が見えたのでしょうが、今は家が建ち並んでいます。
 ここから直接次のスポットに行けるのですが、筆者のように迷わないためにはいったん中杉通りまで戻りたいと思います。

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<庚申前の石仏>D
 中杉通りに戻ったら、右折して更に先に進みます。右側中野白鷺郵便局が見えたら、そのすぐ先の角にあります。
 鋭角な角になっている場所で、五体の石仏があります。なぜ庚申前の石仏というのでしょうか。中野区のページには「中杉通りの五叉路にある五体の石仏。明治時代、「はやり病」があった時に、とてもご利益があったといわれており、今でも地域の人びとに大切にされています。」と説明がされています。
 さていよいよ次が最後のスポットです。これも比較的わかりにくいです。

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<屋敷森>E
 屋敷森というのは防風林のことのようです。この辺り一帯はたぶん家々は季節風を避けるために、周りを雑木林にしていたのだろうと思います。でも今では開発が進んで、その面影を残すのは、ほんの一部になっています。現に筆者が歩いた際にも、木々が取り除かれている光景を目にしました。
 それは中杉通りを更に進んで、左側にあるエリアです。左側にバスの回転エリアがあります。その後ろあたりに木々がうっそうと茂っているのを見ることが出来ます。それは一件のお宅です。このあたりの旧家のようで、同じ名前のマンションも近くにありました。

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 以上で鷺宮コースは終わりです。上のバスの回転エリアのところにバス停があり、JR.阿佐ヶ谷あるいはJR.荻窪方面のバスがたくさん出ていますので、利用するのもよいでしょうし、そのまま鷺ノ宮に引き返す方法もあります。

 さて、このコースには番外編が「なかの史跡ガイド」には掲載されています。後日訪れたいと思いますが、とりあえずこれで完結とします。

 参考にしたのは、「なかの史跡ガイド」と中野区のホームページおよび、中野区教育委員会が建てている解説版です。

 最後に、今回のミニトリップの地図をつけておきます。


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2011年03月19日

新宿御苑散策

 先月は千葉勝浦のひな祭りを見に出かけて、かろうじて我が家の毎月どこかへ、という目標が続けられたのだが、今月は更に窮地に追い込まれた。というのも、出かける予定の前日に、東北関東大震災が起こったためである。
道路も交通網も切断、物流もストップという状況の中ではキャンセルせざるを得なかった。
 このままではこれまでの記録が途絶えてしまうという窮余の策として選んだのが「新宿御苑」。交通の心配なく出かけられるのは、ここくらいしか見当たらないのだ。
 候補にあがった吉野梅郷は、行くだけ行けても帰りの電車の保証がない。昭和記念公園は、地震の影響で閉鎖。
 計画停電の影響で、未だに交通網はずたずただ。施設もあちこちで閉鎖や営業時間の短縮が行われている。西日本方面へは何とか行けそうだが、家のことも心配だし、また遠出する気力もない。
 こうした事情の元でこの新宿御苑と相成ったわけだが、これを連続の切り札として入れていい物かどうかは異論もあろうかと思われるが、日本観測史上初という巨大地震ということを鑑みて、許してもらおう。
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2011年02月26日

勝浦ビッグひな祭り

 我が家は毎月旅行に出かけるのを一つの目標にしているのだが、今年はのっけから躓いた。2月の計画が立たないのだ。あれこれと候補はいくつかあがるのだが、何とももう一つピンと来るものがなくてズルズルと月末まで来てしまった。
 そこで急遽決めたのがこれ。勝浦ビッグ祭り。
 以前房総へバスで行ったときに通りすがりに見かけたことがあって、一度ゆっくり来てみたい物だ、と思っていたからだ。
 急に決まったので日帰り。今月はこれでごまかされることになった。  
朝5時前には家を出て電車に乗った。約3時間の旅になる。
 ようやく日が昇り始めた頃、ビルの合間にスカイツリーが見えた。そろそろ世界一のテレビ塔の高さに達する所まで来た。
 電車の中で前日に購入しておいた弁当を食べた。普通の通勤電車の中で食べるのだから、年甲斐もなくというかここまで図々しくなってしまった自分たちを感じた。
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2011年01月17日

新春箱根七福神巡りB

 箱根最後の日は七福神の残りをまずこなさねばならない。その後はユネッサンへ行ってのんびり過ごす。
 ということで,まずは入浴。今日も一番乗りだ。といってもこの日の宿泊客は3組だけという寂しい物だから、全くフリーと同じだ。トイレでも他の人に会うことは一度もなかった。
 朝食はあまり昨日と変わりはなかった。
 出発は昨日とほぼ同じ時刻。駅へ着いてみるとケーブルカーは故障で動いていないという。明日から修理のためしばらく動かないことにはなっていたのに、今日一日待てなかったようだ。
 仕方ないので早雲山まで歩くことになった。タクシーで振り替えというのをやっていたのだが、強羅で一杯客を乗せてしまう物だから、我が家のように途中乗車は無理だったのだ。
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2011年01月16日

新春箱根七福神巡りA

 junはいくつも夢を見たと言いながら、その話をnoriにした。他愛のない話ばかりだが、一晩にこんなにも沢山夢を見るのか。junに言わせると夢を見ては目を覚まし、夢を見ては目を覚ますという状態だったらしい。
 風呂には少し早かったが、待ちきれずに10分前に入って、勝手に明かりを付けた。誰もいないからと言うことでまずは風呂の写真を撮った。夕べと男女の風呂が変わっていた。露天風呂が一方にしかないためのようだ。そんなことをしていると女将さんが準備のために起きてきた。もう入ってもいいというので、朝一番の入浴となった。
 それから今日の予定を確認してから朝食へ行った。また一番乗りだった。
 食事の後すぐに出発。
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2011年01月15日

新春箱根七福神巡り@

 今回は二人旅。計画はnori。
 ということで、junは気楽にゆっくり出かけるつもりだったのだが、そうはさせてくれなかった。
 しかも、フリーパスを使うのは当然だが、ロマンスカーではなく急行で行くという。
 まあ、急ぐ旅ではないからいいか、ということでの出発となった。
 今日の予定は、かまぼこを作りに行くか、などの案もあったが、箱根七福神巡り、というのがあるのでそれにしようというnoriの案に沿うことにした。
 小田原で乗り換えて、箱根湯本に行く。
 電車はゆったり座れるくらい空いていた。が、さすがにそこで食事をするのは気が引けて、箱根湯本まで我慢をして、駅に到着してから「箱根カフェ」でパンを購入、乗り継いだバスの中で朝食とした。
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2011年01月08日

続々万座温泉滞在日記B

 夕べ早かったせいか、4時半には起きてしまった。
それから少し荷物の整理などをして、今日1回目の入浴。
朝食は6時30分からできるのだが、昼食が付いてないということもあって、ゆっくりと7時過ぎに会場へ行った。
 朝食の後にまた入浴。内湯の方だ。
 内湯と言っても、それぞれ露天は一つずつ付いている。
 昨日は手すりも凍るほど冷えていたが、今日はそれも溶けて,湯温も熱いくらいだった。石庭の方はもうあきらめて、こちらの露天で済ますことにした。junなど折角タオルをレンタルしたのにもったいないことをした。それも1枚目は破れていたので、交換までしてもらったのに、そちらは一度も使わずじまいだった。
 内湯付きの露天はかなり温泉っぽくて気持ちがよかった。ただすぐ目の前が雪なので、目を痛めないようにあまり雪を見ないように気をつけた。
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2011年01月07日

続々万座温泉滞在日記A

 朝目が覚めて外を見ると今日も雪らしい。窓枠にはびっしりと雪がこびりついていた。
それから朝の入浴。気持ちがよかった。朝食までまだだいぶ時間があるので、またベッドで横になってゲームをしたりしていた。
noriだけまた入浴に行った。
ようやく朝食の時間になったので、会場へ行く。朝もバイキング。夕食よりメニュー数は少ないが、それほど食べないつもりなのでさほど気にはならなかった。
ここで嬉しかったのは七草がゆが用意されていたこと。これこれ、といいながら二人とも食した。
更にコーヒー・紅茶がテイクアウトできる。それ用のカップも用意されていて、何とも嬉しい心遣いだった。
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2011年01月06日

続々万座温泉滞在日記@

 今回はのんびり温泉のみのツアー。行き先はまたもや万座温泉。だが、今回はホテルが違って初めての所だ。たまには違うところも利用してみようということだ。
 昼食は付いていないので、パンやカップ麺を購入した。今回も荷物はあらかじめ送ってあるので、しかもビールをたっぷりと忍ばせて、身軽な出発だ。
 バスは上野から新宿へやってきた。後ろの方の座席が空いているので、そちらへ陣取った。後方は座席の席間が広いタイプのバスなのですこぶる快適。
 道路はがらがら状態。それは関越に入ってからも同様で、渋滞などとは全く無縁の走行が続いた。
 途中の休憩は高坂SAで。ここもガラガラだった。平日こうして出かけることは殆ど無かったので、こんなに空いているとは知らなかった。
 渋川伊香保のICで高速を降りた。遠くに綺麗に山並みが見えた。
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