2007年12月17日

今年の旅ベスト5 第1位

 junが選ぶ 今年の旅ベスト5 栄えある第1位は、『ギリシャ』だ。

 ギリシャは大手旅行社だったけれども、添乗員氏がすばらしかった。どこがといえば、客の覚えられる範囲で先々のことを予めデータとして伝えてくれるから、非常の行動しやすかった。

 このたびではメテオラをみたかった。世界遺産ベスト○○なんて言うのをやると常連で入ってくる場所だ。映画の舞台にもなた。期待に違わない場所だった。

 それから、このたびで世界遺産150オーバーとになった。めでたい。
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2007年12月16日

今年の旅ベスト5 第2位

 junが選ぶ 今年の旅ベスト5 第2位は「アルジェリア遺跡紀行」。

 アルジェリアは2006年末より本年正月にかけての旅行。アルジェリアの首都はアルジェ。アルジェと言えば、やはり「明日ジェの戦い」の旧市街を見なければ始まらない。旧市街には警官のやはりエスコート付きで見学した。だからといって、何か特別なことがあるわけではなく、我々の行動が制限されたわけでもない。そして町のあちらこちらにフランスとの独立のために闘って亡くなった方々の最後の場所がある。そうした場所にはプレートが埋め込まれている。写真もその一つ(1月4日撮影)

 前年の2006年のことにはなるが、この旅で印象に残った物の一つに、イード祭がある。犠牲祭とも言う。イード祭は神がイブラーヒームを試してその子を捧げるように言われ、みごとその審問に打ち勝ってイブラーヒームは神から動物の生贄を捧げられるように言われる。そこ事に由来する祭。日本でいう盆とか正月か。
 神に捧げられた動物(主に羊)は貧しき物に振る舞われもする。イスラムの人たちにとっては換気の行事だろうが、日本人の我々にとっては残酷で強烈な印象を残すものだ。忘れられない。
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2007年12月15日

今年の旅ベスト5 第3位

 junが選ぶ 今年の旅ベスト5 第3位は、『南コーカサス三ヶ国周遊』だ。

 アゼルバイジャン・グルジア・アルメニアと回ってきた。

 この旅で特に行きたかったのが、「メスティア」という土地。そこにある塔の家をみたかったのだ。
 これはnoriが特に強く希望した。おかげで旅程が長いツアーになった。

 この南コーカサスの国々も複雑な国情を抱えている。国土の広いグルジアを中心とした旅だったが、それぞれの国はまた違った印象を与えた。アゼルバイジャンはなんと言っても石油の国という感じだった。グルジアはヨーロッパとアジアの狭間の大きな田舎、アルメニアが一番洗練された国の印象だった。でもそこにはイランの時にかいま見た民族の悲劇にも再び出会った。

 それからこの旅行中、junが体調を壊した。noriはづっと悪化しないが下痢が続いた。長期の旅に体調の不安を抱える二人となった。
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2007年12月14日

今年の旅ベスト5 第4位

 junが選ぶ 今年の旅ベスト5 第4位は、『岸和田だんじり祭り』だ。

 初めてこの祭りをみた。2日間みて、興奮し続けた。日本の祭り・・・けんか祭り・・・というと筆頭にあげられる祭りだ。

 最初の日は、観覧席でおとなしくみているところから始めた。激しさもあったが、荒削りというよりは洗練されているという印象の方が強かった。1日目最後は交差点のふくらむ方の側の一番前にに陣取って、やり回しを間近で見た。大迫力だった。

 二日目は、この日の見所の、「こなから坂」に行った。これまた最前列で見た。やはり一番の見所場所とあって、興奮も最高潮に達した。
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2007年12月13日

今年の旅ベスト5 第5位

 アルジェリアの話を入れたので、1日遅れになったが、『junが選ぶ 今年の旅ベスト5』を始めたい。
 今年の旅ベスト5の第5位は、『華麗「美濃祭」・豪快「手力雄神社の火祭」 国宝茶室「如庵」』である。

 美濃祭りは鮮やかさが際だった祭りだった。写真を撮るには格好の祭り。noriはここで自分のコンパクトカメラを自分で(たぶん)踏んでしまうという失態を演じた。そのくらいに興奮させられた祭りであった。

 その夜に見に行った火祭りの方は、豪快だった。この地方は、火筒花火を始め火の粉の好きな土地柄なのだろう。これでもかという火の競演であった。我々もおかげで火の粉の洗礼を受けた。noriはお気に入りのジャケットに何カ所も穴を開けてしまった。今でもお気に入りなので着ており、祭りの名残になっている。
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2007年12月09日

毎月旅へ行く!・・・ついに目標を達成

 我が家は毎月旅に行こう!と計画をしているが、これまで1度も達成されてはいなかった。なぜか途中で途切れる。たとえば前年2006年では、2月に行っていない。2005年は6月2006年は5月といったあんばいだ。

 それが今年は達成をみた。リストを見てみたい。

 1月 アルジェリア
 2月 三陸
 3月 ギリシャ
 4月 ギリシャ(続き)・手力雄神社の火祭など
 5月 早春の北海道志賀高原
 6月 日光
 7月 日光(続き)・三河地方
 8月 南コーカサス3国(アゼルバイジャン・グルジア・アルメニア)
 9月 岸和田だんじり飛騨古川きつね祭り箱根
10月 箱根(続き)・はんだ山車まつり+彦根築城400年祭+大津祭り
11月 土湯温泉
12月 木幡の旗祭り

 ・・・合計15回旅をした。

 次回は、順さんが選んだ今年の旅ベスト5をお送りしたい。

 (写真はアルジェリアの水道橋)
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2007年11月30日

日本三大旗祭り

 「日本三大旗祭り」というのをご存じだろうか。日本人は「世界三大美人」(しっかり日本人が入っているのはご愛敬?)とか、「日本三景」とか「日本三大夜景」とか、そうしたランク付けが好きだ。そしてそれがマイナーな物になるほど、「日本三大○○」と名乗る場合には、代替それは第三位であることが多い。

 さて表題の「日本三大旗祭り」であるが、これはそのいずれが一位かは定かではない。北から行くと、(1)青森県の岩木山の神賑祭・(2)福島県二本松市の木幡の幡祭り・(3)長野県別所温泉の岳の幟をいうらしい。(2)は「重要無形民俗文化財」・(3)は「選択無形民俗文化財」に指定されている。

 このうちの、福島県二本松市の木幡の幡祭りが明後日行われる。
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2007年11月05日

今いずこに・・・バム誘拐事件

 本日の読売新聞電子版などは、「小野寺外務副大臣がイラン入りし、横国大生の無事をイラン当局より説明された。」と伝えている。

 報道によれば、横国大生は「イラン、パキスタン、アフガニスタンの国境地帯を移動している」ということだ。私たちがパキスタンに行ったときはハイバル峠(ペシャワールにほど近い)は既に観光客(いや外国人)は拒絶されるエリアだった。
 私の知り合いはしかしハイバル峠に行っている。我々が行くその少し前まではハイバル峠を通ることが出来て、アフガンに近い所までいけたようだ。残念に思う。よく言われるように、アフガニスタンに近いパキスタンエリアはパキスタン政府の管理下に事実上ない。
 もう少しふれれば、アフガニスタンには海がない。したがって貿易でまかなうものは海を持つ隣国経由の交通に頼らざるを得ない。それがパキスタンとの関係の一面。通過するだけだからパキスタン関税はかからない。ここにも一つの問題が潜む。つまり非関税エリアになる。
 それに昨今のパキスタン情勢もすこぶる心配だ。パキスタン政府の支援を受けることもかなり難しい状況にあるといえるだろう。

 掲載した写真は、ハイバル峠の入り口にある看板。1996年12月31日撮影。外国人は進入禁止(パキスタン政府は責任が持てない)と書いてある横にはようこそハイバルへとも書いてある。もちろんアフガニスタンには行ったことはない。反対側はイランの例のバム止まりだ。
 この空白の地帯におそらくは横国大生も拉致監禁されているのだろう。

 世間では危険地域に足を踏み入れたという向きもあるし、それは事実。ただ危険な地域と言うけれども、バムには日本人の調査隊も入っている。むしろ彼がバムに至る道筋の方が遙かに危険が大きかったと言える。(もちろん、我々が行った時ももちろん警察か軍隊か定かではないが護衛付きであった。・・・こう書くと眉をひそめる人たちもいるだろうが、エジプトなどでもカイロを少し出るとなるとしばしば警察が添乗してくるし、デンデラ付近へ行くときや紅海からのツアー客などはコンボイと称して軍隊の車にサンドイッチされた隊列をくまないと移動が出来ない。)

 東京でも朝晩冷え込むようになってきた。山岳地帯のこのあたりは既に冬の様相だろうし、特に朝晩の冷え込みはいかばかりかと思う。バムには近年訪れているだけに、関心を持ってニュースを見聞きしている。長引いても解放されることを祈りたい。
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2007年11月04日

高円寺仁義なき戦い(5)

 この高円寺仁義なき戦いシリーズの最終回は、最終回にふさわしく人生の終着点というか、仏壇仏具関連で締めくくりたいと思う。

 「コムウエル(comwell)」と「はせがわ」。ともに、テレビコマーシャルを流す大手(この表現は少し変かもしれない?)。

 「♪おぶつだんのはせがわ・・・」というキャッチフレーズのはせがわはその昔は、早稲田通りにあった。環状七号線との交差点を少し中野よりの野方クリニック(旧中野病院)の先で、今はコンビ(ファミリーマート野方一丁目店)にになっている場所にあった。それが高円寺に進出したときには、駅前の一等地で成功するものなのか疑問に思ったが、長く続いている。

 コムウエルのほうは、実は最初noriなど、店が一体化していて「はせがわ」が拡張したものだとすら思っていた。それくらい両者は自然に並んでいる。コムウエルのほうが店の間口ははせがわの半分くらいで、狭い。もっとも両店舗とも奥はかなりある構造。コムウエルの看板には、他店より・・・なんて書いてあるんだけれど、他店って?て思ってしまう。

 仏壇なぞそう頻繁に買い換えるものではないだけに、両方ともまだ入ったことはない。ゆえに詳しくはわからない。

 場所的には、第二弾で書いた菓子屋3軒並びの真向かいといってよい。

 これで、高円寺仁義なき戦いシリーズを終えたい。ご愛読に、深く感謝します。ありがとうございました。
 そして、これを機会に、いつの日か日本のインドと呼ばれる高円寺にいらっしゃい。

 合掌
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2007年11月03日

塩のお土産

 塩の土産をもらった。伊豆大島へ行った方からだ。先週のことだが、台風一過ですこぶる景色も良かったらしい。

 さて自分自身と言うことも含めて、海外旅行に行くとその土地の塩を買い求める人が結構いる。イタリアに最初にいた際も、その時は夫婦二組だけの旅行だったのだけれども、片方の奥さんがやはり塩を買い求めていた。かく言う我々もクロアチアでは買い求めた。

 かように日本人は結構塩好きと見えて、えっ!こんな所に何故?・・・てぐあいに、突然日本語が書かれていたりするところもある。我々が経験した今ひとつの例をアルジェリアに求めたい。
 アルジェリアですよ。地球の歩き方も現在は発行されていない国の一つアルジェリアで、日本語に遭遇したのです。塩湖畔の塩を売る売店で。

 そのときの旅行記はこちらです。
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2007年11月02日

高円寺仁義なき戦い(4)

 今回は、東国原英夫宮崎県知事も罪なことをした?というお話。

 世は偽装問題華やかなりし時だ。宮崎地鶏もその例外ではないらしい。何でもかんでも東国原英夫のシールを貼ったりすれば売れる時代というのは、とうの東国原英夫氏本人も嘆いているところであろうかと推測する。だから、冒頭の表現はあくまでも冗談である。
 さて、どう冗談かといえば・・・

 写真(どうか写真をクリックして拡大してみてください)の右側にある「こだわりの霧島どり」と書いてあるお店と、左側のauの旗の手前「赤い横看板」のお店が今回の話題。ただし、これは撮影時点の話で、赤い看板は今はない。

 こだわり〜と書いてある店に反対側には、東国原英夫宮崎県知事が出迎える格好のイラストがある(記事書き込み時点)。この店の前進は「バーンイサーン」という店だった。この店は少し営業形態を変えて高円寺南口近くで今は営業している、タイ料理屋だった。当時はタイ屋台風レストランというような確かキャッチフレーズだった。ちなみにその前は空手道場だったと思う。
 そこが霧島鳥の店になった。この店も東国原英夫宮崎県知事人気のあやかり商法に少しのっかっているようにも思う。看板を見ると、結構高いので、まだ入店したことはない。
 ここまで書いて店の名前を書いていないのに気がついた。「ぼっけもん」という名前の店で、高田馬場が本店。ちなみに、ぼっけもんとは宮崎弁で頑固者といった意味だったと思う。

 この店ができた当時、反対側の赤い看板(この看板は今はもうない)のところには、「鶏舎」というこれまた鳥系の居酒屋があった。若い店長の経営している店だった。そして結構評判の店だった。ぼっけもんが出来たのが春だったと思うが、そのころはまだ鶏舎は存在した。しかしまもなくつぶれてしまって、写真の看板の「葵」になった。だから、冗談で冒頭の表現をしたわけ。
 さてこの葵、開店当初一回だけ入ったことがあるが、味はまぁまぁだったが、ちょっと財布と合わなかった。そして今この赤い看板は先にも書いたようにない。白い看板に変わり、そこは「ベトナム」料理屋になるらしい。昨日時点でペンキなどを塗っていた。半年そこそこでこうめまぐるしく変わるのは、高円寺でも珍しいのではないか。

 とろこで、高円寺は今(いやだいぶ前から)ちょっとしたエスニックブームで、その種のお店がいくつもある。またいくつも新規開店している。これまた仁義なき戦いといった感じ。ベトナム料理屋も例外ではない。新しい店の健闘を祈りたい。

 さて次回はいよいよ最終回。「終わり」にふさわしい話題を提供したいと思う。
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2007年11月01日

高円寺仁義なき戦い(3)

 高円寺仁義なき戦いシリーズの第三弾をお届けしたい。最初に示した地図でわかるように、このシリーズはあと2回続く。よろしくお願いしたい。

 今回取り上げるのは、「拾圓小饅寿」と「甘円(あまどか)」というお店。

 場所的には、第一弾で取り上げたカレー戦争の舞台の反対側に二つの店ともある。より早稲田側に近いのが「甘円」。なんとどら焼きの専門店である。そして二回は喫茶店になっており、たぶんミニストップみたいに店のどら焼きが食べられるのだろうと思う。買ったことはあるが、喫茶店に入ったことはない。今改装中で、この店の前進はちょっと変わったラーメン屋であった。

 今ひとつの「拾圓小饅寿」はチェーン店である。「甘円」がチェーン店かどうかは知らない。拾圓小饅寿はだから、あなたの町にもひょとしたらあるかもしれない。単価は10円で直径が500円玉にも満たない茶色の饅頭が売られている。ただケース代というような名目で幾分かの金額が上乗せされるので10個買っても100円ではない。こちらに店の方が少し先に出来た。

 さらに少しジャンキーな部類に属するかもしれないが、この店の前辺りにはクレープ屋やたこ焼きなどの店があり、ちょっと独特なエリアを形成している。

 現状で言うと、拾圓の方はかなり不振のような気がする。おはぎとか手をかえてサイド攻撃を仕掛けるが、見る限りはそう成功している風には見えない。我々も一度は買ったが、2度目にはまだ至っていない。

 甘円は改装中と書いたが、この記事の時点ではまた新しい店になる(撤退する)のか、文字通り改装中なのか定かではない。だいたい前の店のラーメン屋から構造がそう形が変わっていないので、一見すると何を売っているのかわからない。道に面して商品が並んでいないというちょっと風変わりな状態だった。だから我々も最初に中にはいるのには少し勇気が必要だった。noriはそのための改造のようにも思うが、junはまた違う店になるような気がしている。

 と言うわけで、第2弾に続いて和菓子や話題を書いた。(写真・文とも10月28日(日)現在の話)

 次回は宮崎県知事の話題を含めてふれたい。

P.S.
 (11月3日(土)追記・・・上の推察は、noriのよみがあったようだ。今回の改装で、甘円は存在している。そして従前店の中が道から見えなかった天を改善している。jyuが見たら、1Fにもいくつかテーブル席ができていた。)
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2007年10月31日

私も体験した受入拒否

 今朝のNHKニュースによれば「宮城県が救急搬送時間に関わる全国調査」を実施するということだ。しかしながら、noriにとっては人ごとではないことなのだ。

 平成9年8月27日(水)、私たちはウズベキスタンの旅を終えて帰国した。今ではウズベキスタン国営航空が夏ダイヤでは週3便、冬ダイヤでも2便飛んでいるが、当時はアシアナ航空を使うのが一般的だった。実はウズベキスタンには韓国人が結構いる。このときの旅行は結構いろいろあったので、記憶に残っている思い出があるのだが、まぁそれはそれとして・・・

 この日のことは少しだけブログにも書いてある。つまり、帰国時に腹痛になり、でも検疫はスルーして、その夜に一大騒ぎになった。救急車騒ぎであった。ブログには、「しかし、外国帰りということで、あちこちの病院で診療拒否に合い、1時間ほどしてやっと都立駒込病院で診察してもらえることになった。即入院。この後、則裕の入院は1週間にも及ぶことになった。」と書いてある。このときに実際たらい回しを経験した。ちょうど10年前だ。

 救急車に乗ったはよいが、搬送先が見つからず、いったん我が家へUターンした。このときわかったことだが、救急車にはトイレ設備がないのだ。うろうろしている間に腹痛に見舞われたためだ。それから受け入れ可能な病院として救急センターから指定のあった都内の大学病院を目指して再度走り出した。
 無線の交信はいやでも聞こえる。「ウズベキスタン・・・・」「えっ!なに人」などの交信があった後に、結局受け入れを拒否されてしまった。そして救急車は再び迷走。最終的には23区を横断するようにして、隔離病棟のある都立駒込病院に搬送されたというわけ。はっきり言って人種差別だとそのとき思った。病院名は書けないけれど、都区内の大学病院だってこうしたことをやる実態を、その時初めて身をもって体験した次第だ。

 ちなみに隔離病棟生活については機会があればふれたいと思う、貴重なこれまた経験だった。また写真はバザールの一こま。日本人が珍しいので、何でもくれた。生のものなども含めて、それをばくばく食べてしまったのが、原因であろう。それまで、自分だけは大丈夫という迷信が瓦解したときでもあった。体調が完全であってこそ、旅ができる。この経験は戒めともなっている。
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2007年10月30日

高円寺仁義なき戦い(2)

 仁義なき戦いというのがタイトルだが、実際は共存共栄しているケースもある。三軒並んで菓子屋という場所がある。「文明堂」「中村屋」「相模屋」の三軒。文明堂は、「♪三時のおやつは文明堂」で有名な文明堂のフランチャイズ店?中村屋は、カレーでおなじみの新宿中村屋のフランチャイズ店?かと思われる。相模屋はせんべい系の店で、グループなのか単独なのかは知らない。

この三店はそれぞれ結構古い。少なくとも20年くらいは共存共栄しているであろうと思う。南口の塩瀬が無くなり、北口の天名家が無くなった今、和菓子とりわけ生和菓子を買える店はきわめて狭まってしまってきている。ニーズがないのだろうか?

 洋菓子系は、若い人の経営するケーキショップが、いくつもできているのだけれども。
 贈答品を買うとすれば、この三軒に依存する度合いが高いのは我が家の事情だ。まるで三兄弟が寄り添ってひっそり生きているという感じがする。
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2007年10月29日

高円寺仁義なき戦い(1)

 さて、さて、高円寺仁義なき戦い第一弾はカレー屋さん。インド料理屋さんというべきかもしれない。

 高円寺は一部ちまたで、「日本のインド」と呼ばれている。

 混沌とした、つまりは「カオス」を感じる町高円寺を表現したものだが、高円寺にはエスニック料理分けてもインド料理店が多い。それからエスニック系雑貨店。衣料店も。有名な「元祖仲屋むげん堂」の本拠地のある町と言えばよいだろうか。最近ではタイ・ベトナム系が伸してきた。エスニックではないが、清香・抱瓶(だちぴん)という有名な沖縄経緯酒屋もある。

 で、そのインドの話だが、インド料理、簡単にいってしまえばカレー屋は非常に多い。一番の老舗は高円寺の高架下に今はあるクロンボだろうか。しかしである、なぜかターバンを巻いたサリー姿の女性店主(日本人と思われる)が始めた・・・・「一歩入いればそこはインド」のキャッチフレーズで高円寺庚申通りのもうすぐ早稲田通りというあたりに存在する「カレーハウスコロンボ」。この店主、上に書いた格好で高円寺を闊歩していることもある。できて7年くらいか?

 その高円寺方向の隣は、以前Nage(ナージュ)という洋風レストランがあった。そこに今年の初めころか?インド系の人と思われる人が調理をしているカレー屋が出現したのだ。その名は、「サルダーラ」。入ったことがないので解説できないが(Nage時代に入ったので店の構造はわかる)、少なくとも我々がのぞいている時はいつも超暇そうだ。店の看板などから武蔵小山商店街の同じ名前の店の支店か?

 この勝負は、たぶんコロンボの勝ちで決まりかと思う。インド人?を負かした日本人?(残念ながら写真を撮ったときにはコロンボは開いていなかった。この後女店主が現れた。)
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2007年10月28日

高円寺仁義なき戦い(0)

 私たちの住んでいる町の隣町は高円寺、分けても高円寺北通称高北と呼ばれる地域。
 ここでここ1年くらい仁義なき戦いが繰り広げられている。といっても、ドンパチというような、怖いお兄さんが登場するわけではない。ご安心を。
 ここで戦場のエリアを紹介しておきたい。高円寺北口の通称庚申通り(庚申様の祠がある)とよばれる地域の、早稲田通り側出口から高円寺に向かって純情商店を含むたかだか500メートル程度のエリア。
 これらの地域に、同一あるいは類似形態の営業をしている商店がごくごく近くに存在するという場所がいくつかある。今回あげるもののほか、目立つのがく薬局(ドラッグストア)。純情商店街だけでも、5軒の薬局がひしめく。5件ですぞ、たかだか200メートルくらいのところに!中欧アジアやイスラム圏にあるマーケットならいざ知らず、あるいは飲み屋街ならいざ知らず、同じ業態の店が近くにできるというのはここ数年の高円寺北口の傾向のようにも思える。
 これらのうち、五つのケースを徐々に取り上げてみたいと思う。高円寺のカオスを感じ取っていただければと思う。
 なお冒頭にあげた写真は、24時間営業の紳士服店。深夜いざということがあったら、高円寺にどうぞ。(今回のテーマと関係なくてごめんなさい)

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2007年10月27日

大涌谷の黒タマゴ・・・と言うかその袋

 赤福話題の時に、なんで包装紙を取ってあったのか、あの調子でで何でもかんでも保管しているのだろうから、さぞかし家は大変な状態になっているのだろうと、職場の人に言われた。実際そうであるから何とも言えない。でも、こうした状態の最近の保存方法については、また改めて「我が家流 旅資料の保存法」とでも題してブログに書き込みたいと思う。
 最近旅行したのは箱根。雨ばっかしだった箱根その旅行の中から持ち出したものが、この大涌谷の黒タマゴの入っていた袋。実際何でこんなものまでと、今振り返れば思わなくもないが、なぜか手元にある。おいしかった。この黒タマゴは大涌谷の黒玉子茶屋(茶屋名は玉子が正当)でなくとも、ロープウェイ駅やその他で買うことが可能。でも生産地はやはり黒玉子茶屋脇で、現地からロープウェイの駅近くまで、タマゴ専用の輸送用ロープウェイも出来ており、各地へ出荷している。
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2007年10月23日

赤福残念!ファンだったのに

akafuku_suponichi.gifakafuku2.jpg 今朝のブログに対して、職場の人からスポニチの記事を教えてもらった。それが右の写真。このスポニチの記事によれば、左の方の写真をみてもらいたいが、我々が食べたのは、暗号?でA商品と呼ばれる、「回収し再包装するなど製造日を偽装した商品」ということになる。はっきり言って、ショックの一言・・・。先にも書きましたが、赤福結構気に入っていたんです。
 更に、更にです。消費期限なのですが、スポニチの記事に載っている写真では製造日から合計3日間の余裕があるのに、我々が食べたのは翌日までの期間しかありません。つまりそれだけ足の早い状況下で出荷された製品という風にも考えられませんか?(それぞれ写真をクリックすると別画面で拡大表示されます)
 あまり経験したくないけれど、世間が騒いでいる、その中に自分たちもおかれたようで、もちろん二人ともおなかは何ともなかったけれども、なんともやりきれないというか、複雑な感じが今しています。
 ところで、みなさんよくもそうしたお菓子の包み紙を持っていたと思いませんか?そうなんです、われわれは結構なんでも集めてしまう癖があるのです。それが今回偶然にも役立ちました。
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赤福残念!ファンだったのに

. 別に伊勢まで行かなくとも、名古屋まで来れば(いや東京でも?)堆く積まれた赤福のピンクの箱を見ることが出来た。その赤福が雪印・石屋製菓に続いて疑惑の目がもたれている。
 今朝の朝日新聞によれば、『全社的に冷凍や生の商品を再包装する「まき直し」を実施。表紙の印は、精算時間帯や生か冷凍かに応じて、ピリオドの位置やハイフンの有無、印の色を変えて5種類作り、商品を分類』と報じている。ウェブ上でその違いの掲載しているところはないのか調べたが、今のところ見あたらない。テレビのニュースで新聞報道の紹介画面でちらっと見た感じがするのだけれども・・・
 この報道の通りだとするのならば・・・右に写真は私たちが食べたもの。青インク印字で、ピリオドもハイフンもある。これって何を意味するの?誰か教えて欲しい。でもとうにお腹の中なんだけれども・・・ 少なくともこの時赤福おみやげにしなくてよかった。ほっ!
 こうしたことはまだ続くのかもしれないが、赤福は結構身近な存在だっただけに、そして名古屋近辺に行けば必ずと言ってよいほど買うファンだっただけに、非常に残念でならない。
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2007年10月17日

バム今昔物語


 ご存じgooglemapによるバム遺跡の画像です。上空から見ても遺跡がかなり壊滅的な状況になっていることがわかると思います。右の地図の「+」を押していくと、単なる泥の塊化している様子が何となくわかると思います。
 在りし日のバム遺跡の姿はここなどで確認できます。前日の我々のスナップといかに違うかがわかるでしょう。
 でもここには復興の望みがあるのです。それはNHKが撮影した膨大なフィルムがあり、このNHKデータは復興に一役も二役もかっているのだそうです。そのうちの一部ははユネスコのページで公開されています。美しい姿を思い浮かべつつ破壊されたその地に降り立ちたいと考えるのは普通の感情だと思います。・・・・私たちもだからバムを見たかったわけですが、横国休学中の彼も見たかったに違いありません。

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